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監査という仕事を、あえて欠点・限界から考えてみる

「欠点」も「限界」も好きな言葉ではありません。
どちらも内在する先天的なものを、さらに先入観で語るような言葉なのでできるだけ使わないようにしています。
でも、今日はあえて監査という仕事の「欠点」「限界」について書いてみます。

私は監査の「欠点」「限界」は、「監査が監査であること」にあると思っています。
何を言っているのだと言われそうですが笑

監査って結局のところは、どんなにポジティブな言葉で語っても、どんなに監査人が献身的で素晴らしい人間であろうとも「監査」だと思うんです。

そこで、広辞苑で「監査」という言葉を引くと、

ーーーー
かん‐さ【監査】
①監督し検査すること。
②企業などの特定の行為、またはその行為を示す情報が適正か否かを、第三者が検証し報告すること。会計監査など。
ーーーー

とあります。

監査は「監督し、検査すること」に他なりません。
監督も検査も、それ自体が何かを生産することは決してありません。
監査する相手が存在していることが前提であり、0から何かを生み出すものではないからです。

最前線で事業に邁進する方がいて、その方々を猛烈に支える人々がいて…そしてその結果が価値を形成し、監督し検査してまで守るべき段階まで上がってくる。

そこで初めて「監査」という行為が意義を持ち始めます。
ここに監査の欠点と限界があると思っています。
どうやっても事業や会社への貢献度にキャップがある、全工程の最後の方に関わることになるので生成される価値に対するレバレッジが効きづらい。

もちろんとても価値があり、素晴らしい仕事です。
この仕事を否定する気も貶める気も全くありません。
私自身、この仕事が好きだし、誇りを持っている。

でも同時にこの欠点、特に限界に打ちひしがれることも時々あります。
自分自身この仕事をしていても、皆様から本当に喜んでもらえるのは、監査の域を出て仕事をした時のようにも思っていて…。

だからこそ、もっともっと原始的なフェーズで会社や事業に近い距離で携わりたい…そう思ったりするときもあって。
そうしたらもっと楽しめるのではないか?という欲求・好奇心に近いかもしれないですね。

最後の方は少し自分語りになってしまいましたが、私が考える監査という仕事の「欠点」や「限界」について考えてみました。
皆様はどう考えるでしょうか??


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